おしゃべり蔵元参謀の駄弁

陸奥国 津軽の西の地より、おしゃべり小太り参謀が叫ぶ。

【日本酒業界における多角的視点からの経営指導の必要性】

久しぶりの更新です。今回も長々と書きました。そして内容は過激です。


先日、青森県弘前市で大学時代の先輩にお会いした。その方は関東出身ながら新卒で入社した会社を辞め、鹿児島へ転職・移住し、今は個人事業主として働いている。


自分も地方へ移住した身であるため、学生時代にお会いして話した時よりも、共感・理解できる部分が多く、濃密な話ができた気がする。そしてお話をする中で地方の抱える新たな課題の発見も数多くあった。


地方の中小企業である酒蔵。特に北東北などの首都圏から離れた地域の抱える問題は人口流出・過疎化。青森に住んでいると一次産業に限らず、日頃多く関わる酒販店さんにとっても担い手不足というのは深刻な問題である。そんな話を伺う私にとっても、また日本酒業界にとっても身近で深刻な問題だ。決して他人事ではない。


酒蔵の減少に歯止めはかかっておらず、国税庁の発行する最新の「酒のしおり」によると酒蔵の数はピーク時の半分以下。消費量も減少し、毎年減少の一途を辿っている。


酒蔵の廃業の裏には何があるのか。我が国の誇る日本酒文化を後の世代まで継承していくために、どうにか現状を打開し、発展・復興の道へ進めたい。そう思ってこの世界に飛び込んだ。


そんな自分の果たすべき役割は「言われた通りにとにかく売り歩けばいい」という従来の、また一営業社員の果たす役割と同等ではない。日本酒文化の継承・維持・発展の阻害要因はどこにあるのかを多角的な視点で分析し、解決することだ。


業界を構成する一蔵元を組織として見て、その維持・発展という目標達成のために分析すべき点は売上や利益だけではなく、人的資源にも目を向けなければならない。売上・利益の追求の一点だけで、その結果から経営の良し悪しの判断をするのは、言ってしまえばその場しのぎの分析と戦略であろう。長い目で見た場合、次の担い手・働き手がいなくなれば、いくら利益を出そうとも組織は成り立たず、廃業することだってあるはずだ。


現状抱えるこれらの課題を解決しないことには、最終目標とする持続的な発展・継承に繋げることはできない。これらの課題の解決策は何なのか。要因をしっかりと把握し、解決策を見つけ早急に行動しなければならない。


多くの小規模酒蔵の労働環境は、はっきり言って良くない。むしろとても悪い。冬の寒い時期に造りを行なう肉体労働。酒の様子を確認するために、担当する役割によっては夜中に起きて蔵の中を見回りに行かなければならない。


冬場は休日も少なく、地方ゆえに給与水準も低い。これといった娯楽もない。これでは誰もやりたがらないのも頷ける。


しかし一方で、物好きな人間がいるのが世の中の面白いところだ。わざわざ都心部から地方へ熱意を持って転職・移住してくる「変わり者」もいる。


彼らのような「変わり者」は覚悟もあれば意志も強い。また将来に対しての危機意識や自己実現の欲求が強い。


やってきたきっかけはどうあれ彼らのような人材には自分の中に確固たるものがある。何かを成し遂げるために、または蔵の跡取りに誘われ、縁があり、その蔵や日本酒業界の未来を少しでも良い方向へ変えるために、わざわざリスクを負ってやってくるのだ。生まれた土地から離れ、かつての職とキャリア、利便性の高い生活環境、その他多くのものを捨てて。


頼んでも誰も来ないような地域・業界に来てくれた人材は「人材」ではなく「人財」である。


もしそんな彼らに「あぁ、ここはダメだ」と思われてしまったら、その先どうするのか。


酒蔵の跡取り、社長と話していると、彼ら「変わり者」のような価値ある人的資源を確保することだけに目が行きがちである。確保を重視するのではなく、そこは通過点として捉え、彼らが職場に定着し、会社として人的資源を保持することに重きを置くべきである。それが企業や、ひいては過疎地域にとって様々な課題解決の道となるだろう。


彼らは以前いた場所を離れる時、数々のリスクを負って地方へやってくる。しかし新天地においても更なるリスクがのしかかってくる。移住してきて一般的には賃金は下がるだろう。しかしそんなことは御構い無しに前年の所得に対して税金はかかってくる。それを払うために貯金を切り崩しながら、前職と同水準、それ以上の対価を得るべく、その判断材料となる成果を上げるために働く。


そして評価の時を待つ。評価とは、もちろん労いの言葉なども含まれるが、重要なのは貢献度に応じた報酬・対価である。彼らだって生きるために仕事をしているのだ。彼らのしていることは決してボランティアではないのだから。


自己評価と会社からの評価のギャップは働く意欲にも関わってくる。


人的資源の供給が少なく需要の高い地域にやってきた自分というものの市場価値。前職の経験を活かして働く自分の価値。頼りにされて転職・移住し、会社の未来を変えようという意欲、会社から裁量を与えられながらも、それと同時に背負わされる責任。様々なことを考えるだろう。


別に本業のある季節労働者やパート社員の主婦と同じ給与水準で納得できるはずはない。ましてやその地域における同年代労働者たちと同じ水準を、ただ年齢や地域の給与水準の相場感によって決められるなど、納得できるはずもない。


伝えられた評価が決定されるまで、どのようなプロセスを経て、またそこにはきちんとした根拠があるのか。自分が一年間で出した成果は考慮されているのか。そして来年、さらには三年後、五年後を見越して設定した計画やプロジェクト作成に対しての評価は適切にされているのか。雇用主の言い値のままに働くことに対して疑問を持たない移住転職者などいないだろう。


なぜ移住者ばかりがリスクを負い、企業や地域側はリスクを負おうとしないのか。人口流出が進む過疎地域であるものの、Iターン者の誘致と支援もできない。せっかくやってきた人材も愛想を尽かして出て行ってしまう。それでは過疎化に歯止めはかからず進む一方ではないか。


にも関わらず、景気の悪化や少子高齢化、ブームの変遷など世の潮流のせいにして「自分たちは悪くない」と言わんばかりに現実逃避を続け、集まれば愚痴を吐き合い、馴れ合うだけ。課題がどこにあるのか掘り下げてみようともせず、何も手を打とうとしない。そんな酒蔵などは無くなって当然であるし、そんな向上心のない酒蔵などは、いっそのこと早々に無くなってしまったほうがいい。過激な意見かもしれないが、ある意味では荒療治である。


環境の変化に適応できないものや飽和状態にある環境下では必ず淘汰されるものが出てくるものだ。


経営に悩んでいると口にする酒蔵の経営者ほど、危機感や未来へのビジョンが薄っぺらいように感じる。


社長や専務という先代から与えられた肩書きにしがみつき、客観的評価には目を向けようとせず、経営者として必要な知識や情報、スキルを身につける努力もしない。口ではあたかも明確なビジョンがあるかのように薄っぺらい綺麗事を並べ、知ったかぶりをし、その場をやり過ごす。まさに世襲制の弊害とでも言うべきであろう。


高校卒業後に蔵元の跡取りに有利な推薦枠で醸造系学科の某大学へ進学し、大学卒業後は全国どこかの蔵元で数年修行。その後、家業を継ぐために戻ってきて早々に専務や取締役の椅子を与えられ、社会人スタートである。


彼らには全て与えられているのだ。敷かれたレールの上を進んでいく。決して悪いことばかりではないのだろうが、思考する必要が無く、危機感や当事者意識が生まれにくい環境であることは確かだろう。


危機感を芽生えさせるためには多少の犠牲は必要だ。向上心のないたった1つの酒蔵の倒産・消滅という犠牲で「ああいう風にはなりたくない。うちも早急に何か手を打たなければ」と他の多くの蔵元に危機感が芽生えるならば、それも良いのではないだろうか。荒療治ではあろうが、「このままではいけない」と当事者たちが思うことから改革・行動は始まるのだ。そのための犠牲ならば安いものだ。


蔵の存続に対して強い危機意識と向上心を持つ蔵元の出現と、業界発展のために働きたいという外からやってきた「変わり者」を結びつけることこそ業界救済の特効薬であり、急務であろう。外からやってきた人間の果たす役割は、先入観や根拠のない理由で凝り固まった古臭い業界を改革するには不可欠であろう。


そして雇用主である酒蔵は「変わり者」の彼らがリスクを負ってやってくることに対して、それ相応に応えなければならない。客観的な視点で人材の価値を評価する姿勢と、人材確保・定着のための対価を支払う覚悟、労働環境の整備が必要だ。


ある意味では先行投資とも言えるだろう。優れた人材は1日にしてならず。まずは定着させ、裁量と責任、それに見合う適切な報酬を与え、自ら思考させ、経験を積ませ、成長を待つ。定着させるためには相応の対価は必要不可欠だ。


供給が少なく需要の高いもの且つ市場価値の高いものを得るためには、それなりの対価を払わねばならない。これは原則である。


その覚悟がないならば「優れた人材が欲しい」というその願望は叶わない。「言うは易く行うは難し」という諺のとおりだが、そのためにどうするのか思考せず現実逃避をし、簡単に願望を口にする前に、何かしら行動を起こさなければならない。そうでなければ淘汰されるのを待つばかりだ。


早急に当事者意識・危機意識を持つことから始めなければならない。


一方で地方には小規模酒蔵もあり、向上心があり、どうにかしたいと思っていても人件費の捻出が困難な酒蔵もあるのも現実である。


そんな酒蔵のために自分ができることはないのか。それも双方に利のある形で。


ゆくゆくは蔵元という枠を超えて、業界全体を発展させるために、経営全般の指導のコンサルティング事業ができたらと考えている。


外から来た変わり者の話を聞いてみたい、という蔵元、業界人、もしくは異業種の方のニーズがあるのならば、自分の経験値を上げるためにも、セミナーやコンサルティングを是非とも行なってみたいと考えている。


自分のスタート地点を忘れず、同時に業界に対して果たすべき役割をしっかりと見定め、今後進む道を決めていきたい。

【『強要』するな『口説いて』落とせ】

本日より1週間、横浜の百貨店様のお酒売り場で試飲販売会をやらせていただきます。


百貨店様にいらっしゃる方は、年代も好みも様々で、こういう広い顧客層の方々と直接お話できるのは大変貴重な機会です。


しかし、時には歯がゆいような、どうしてこうなってしまうかなぁ、と思うような状況に直面することがあります。

 

先日とある飲食店様にて蔵元イベントを開催させていただきました。来てくださった方々はそのお店の常連さんから、「蔵元が来るってSNSで見たから来たよ」という方まで様々。


こういった日本酒イベントには日頃から日本酒を召し上がり、お勉強をされ、更なる知識を身につけたい、という、こっちが負けそうになるくらい熱気に溢れたお客様が多くいらっしゃいます。


「お米は?酵母は?…なるほど!こういう味わいか!」と分析しながらお飲みいただき、我々に表現してくださるお客様がいらっしゃいます。


蔵元としては、飲み手のニーズを受け取れ、たとえ感じ方は違くとも、思いもよらなかった新たな発見につながる、大変貴重な時間です。


しかしそんな日本酒熟練者の方とのお話をしている時、ふと周りを見ると、圧倒されたような、一歩引いているような、遠慮しがちな、そんなお客様を見かけることがあります。


「いかがでした?」「どれがお好みでした?」と伺うと、若い方はもちろん、ご年配の方でも「私、よく日本酒ってわからないんです」「なんか難しいイメージがあるので、なんて表現すればいいのかわからないんです。すみません」など、正直に打ち明けてくださいます。


そんな方には「全然難しく考えたり、誰かに表現する必要なんてないです。気軽に楽しんでいいんですよ」と断言してあげています。すると安堵の表情を浮かべられ、緊張が解けていくようです。


「普段はどんなお酒を飲まれますか?」「今お席で食べているお料理は何ですか?」と聞くと、色々と普段のご自身の酒ライフについて話してくださいます。そこへ対してオススメをする、というように歩み寄ります。


日本酒は文化・歴史の賜物であり、出来上がるまでの工程も複雑。知れば知るほど奥深く、専門性が高い商材ゆえ、知的好奇心を満たしてくれるものでもあります。


しかし忘れてはいけないのが「嗜好品」である、ということだと思うのです。「口が老いる日まで好きな品」と書く通り、その好みは変え難く、千差万別。人それぞれに、それぞれの楽しみ方があっていいんです。


極端な話ですが、「これ美味しい・これ美味しくない」という飲み方でも、「使用米や酵母をきちんと知った上で飲みたい」という飲み方でも、どっちでもいいんです。みんな正解です。ただし絶対にやってはいけないのは、どちらの立場であっても、他人に「俺の方が正しい!お前もこっち側に来い!」「酒っていうのはこうやって飲まなきゃいけないんだ!」と強要してはいけない、ということです。


初心者の方が身構えてしまうほどに、飲んだら自分の言葉で表現したり、語らないといけない、という空気感が今の日本酒の飲み手の方の中で広まっているのかなぁ、と感じ、なんだか悲しくなってしまいました。


私は、どんなに業界の重鎮・有名人であろうが、誰になんと言われようとも、日本酒業界を「初心者冷遇」な業界にはしたくないです。「絶対にさせてなるものか!」と思っています。これだけは絶対に譲れません。


普段の食事と気軽に楽しめる「とっつきやすい」お酒で、興味が出てきて「能動的」に探求すればするほど奥が深くて面白い。そんな魅力的な商材なんだ、と多くの方に知ってもらいたい、と思っています。


日本酒を提供する側の蔵元や飲食店の皆様、そして熟練の飲み手の皆様、初心者の方をお見かけになりましたら、自分の持っている知識を押し付けて自分だけ気持ちよくなるのではなく、優しくわかりやすく寄り添って教えてあげて、みんなで楽しく日本酒を飲みましょう。


強引に自分のところへ引っ張ることなく、優しく「口説いて」仲間を増やしていけたら、みんな嫌な気持ちにならなくて良いですよね。


ちなみに私の立場は、お酒の背景を知りながらも楽しく飲むことを忘れない「ハイブリッド型」

 
いいとこ取りで調子の良い小生。

今日も絶賛チームメイト募集中です!

【蔵元参謀の心得 ~旗旒用意ッ! Z、揚げッ!~】


「まことに小さな蔵が開化期を迎えようとしている」


これは作家 司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」の冒頭の一文を引用し、「国」を「蔵」に変えたものです。


この作品は明治という時代を迎えた日本という国が主人公の物語です。日露戦争という大きな戦争を迎えるにあたって作戦・戦術・指揮を執る様々なリーダーたちの姿が描かれています。


経営者のバイブルとも言われるこの作品に触れたのは父の薦めで観たNHKスペシャルドラマでした。父は我が子(私の弟)に遼太郎と名付けるほど司馬遼太郎の大ファンなのです。


当時は戦争の映像の迫力に魅了されました。原作に触れたのは大学卒業後に入社した会社の新入社員の課題図書でした。


心に響く言葉と各分野のリーダーたちが数多く出てきます。ご興味のある方は是非一度お読みください。


私の好きな登場人物の一人が秋山真之という海軍軍人です。彼は日露戦争において、世界最強と言われたバルチック艦隊を破るに至る作戦を立てた人物、いわゆる「参謀」でした。


私の名刺の肩書きである「参謀」も、実は秋山真之への憧れから来ているものです。


彼は論理的そのもので、過去の歴史上の海戦戦術書を読み漁り、また各国の最新の技術・戦術の研究にも熱心でした。まさに「温故知新」です。


先入観を嫌い、現状を疑い、結果として自国よりはるかに強大なロシア相手に、奇跡に近い勝利を収めたのです。


作品に出てくる彼の言葉の中で特に印象に残っているものがあります。


「海軍とはこう、艦隊とはこう、作戦とはこう、という固定概念がついている。恐ろしいのは固定概念そのものではなく、固定概念がついていることも知らず平気で司令室や艦長室のやわらかいイスに座り込んでいることだ」


明治期の日本は侍の時代から欧米列強に対抗するため、急速に近代化を目指して行きました。財政が乏しいにも関わらず、ほとんど不可能とも言えるスピードで。そこには大きな危機感があったからでしょう。


小さな地方の蔵元にも全く同じことが言えると思います。


代々継承してきた従来の常識は、昔ながらのやり方は、果たして現在の常識なのか。正解なのか。自社が生き残る道はどこにあるのか。他社に対抗するために振るう武器は満足なものなのか。設備は満足か。設備が無いならばどうするのか。先を見据えた設備投資は果たして無駄だと言えるのか。その根拠は何なのか。


常識を疑うこと、思考することから全てが始まります。そこから生まれるのが戦術・戦略であると思います。


タイトルにある「Z」とは「Z旗」という旗を指しています。それぞれの文字に意味が込められた信号旗を掲げることで意思疎通をしました。


このZ旗秋山真之が作中で掲げるように命ずるものです。


この旗に込められた意味は「皇国の興廃この一戦に在り。各員一層奮励努力せよ」というもので、「この一戦(バルチック艦隊との海戦の勝敗)に日本の存亡がかかっている」という意味が込められていました。


出張に出る時、行きの電車に乗っていると毎回このシーンが頭をよぎります。


弊社唯一の営業として、蔵元の存亡はこの手にかかっている、という意識を、若輩者ながら抱きつつ、今日も東京へ向かっています。


少しでも良い方向に向かうことができるように、また日本酒業界がさらに明るく発展できるように、その一助となれるよう、奮励努力致します。

【常識と固定観念 ~思考せぬ者 論ずるべからず~】

本年の造りより新社長のもとで酒造りを行なっております。


実験作として今までの定番銘柄とは対極に位置する甘口のお酒を造りました。


嗜好品のため賛否両論あって然るべしだが、一つハッキリさせておきたいことがある。


「どんな酒にも必ず輝くシーンがある」ということだ。


今回の甘口酒は日本酒度-9.8というもので、定番商品は+3前後。真逆の酒質であることがわかる。


社内の人間で集まって飲んだが、反応は人それぞれであり、是非を問うものではないが、ただ一つ容認できない言葉があった。


「あー甘いな。酒は辛口じゃないと口の中がダレてきて、長く飲めないからダメだ」


その場で反論できなかった自分が情けない。


正直「そんな時代は終わっている」のである。


一升瓶で酒を買ってきて、晩酌の始まりから終わりまでその酒だけ飲む。そんな飲み方が果たして現代の主流だろうか。


ビール、チューハイ、ハイボール、ワインなどなど、他にもお酒はたくさんある。


飲み屋に行って終始同じ日本酒を飲み続けることがあるだろうか。


飲み比べ、あっちに行ったりこっちに行ったりするだろう。


変わりダネがあっても良いのだ。むしろ顧客にとっては喜ぶべき物であろう。


現状を冷静かつ正確に分析し、把握し、論ずるならば良い。


しかしロクに思考もせずに「昔ながらの常識」という化石のような固定観念に縛られ、それを根拠として物事を判断するような愚かな行為を続けていては、そしてそんな姿勢や古い常識が支配するような場においては決して良いものは生まれない。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉の通り、従来の枠から出られない視野の狭い価値観は保守的で時代遅れなものしか生まない。


造り手と売り手の若い我々はそうならないよう、常に今の「常識」を疑い、どんなに後ろ指を指されようとも今の「非常識」を、この先の「常識」に変えるべく、挑戦していきたいと思う。

 

若い力よ、今こそ立ち上がれ!

古臭い「常識」に反旗を翻すのだ!!

祖母の姿を思い出す 平成最後の8月

「洋平ちゃん」

毎年この時期になると私を呼ぶ優しい祖母の声を思い出す。物心ついた時から深い愛情を注いでくれた祖母。20歳を過ぎても産まれた時から変わらず、私を「洋平ちゃん」と呼び続けた祖母。思春期の頃は昔から当たり前のように呼ばれていたその呼び方が何故か嫌で嫌で仕方がなかった。「その呼び方やめてよ!」と強く言ってしまったこともある。

 

しかし今となってはどんなに願っても、もう二度と深い愛情のこもったその声を聞くことはできない。


祖母は3年前の今日、この世を去った。急激に病状が悪化し、あっという間に逝ってしまった。その昔、長崎に住んでいた祖母は腎臓が悪かった。


1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下された。疎開していて直撃は免れたが、その後その土地へ戻り、過ごすうちに間接被爆をしたのだった。


結婚し、伯父と私の母を産んだ祖母。その後離婚し、女手一つで子供たちを育て上げた。とにかく働き者で世話好きな祖母は遊びに行けば必ず手料理を、たくさん作って食べさせてくれた。


逞ましく強い祖母の姿。しかし一度だけ祖母の泣く姿を見たことがある。


それは小学校の夏休みの宿題で、祖母に戦争の話を聞いた時だった。


切り出した時から笑顔が消え、淡々と話し出す祖母。


地平線が見えるほど、何もなくなった長崎の街。いつも遊んでくれた坂の上に住んでいたおばあちゃんの家も跡形もなく、水を求めて彷徨ったのであろう幼子を抱えた母の亡骸が目に焼き付いているという。


「どんなことがあっても戦争だけは絶対にしちゃダメよ」


涙を流し、震える声で祖母は私に言った。未来を担う幼い私に託した祖母の願いでもあったのだろう。

 

母も祖母の口から戦争についての話はあまり聞いたことがなかったらしく、語りたくないほどに辛い経験だったのだろう、と思う。

 

祖母は戦後70年の節目の年の広島原爆の日に亡くなり、長崎原爆の日に灰になった。

 

あの日原爆の火に焼かれなかった祖母は人生を全うし、なんとも運命的な日に死を迎えた。


私たち家族の記憶に残る祖母の最期は、私たちに戦争という行為の愚かさと残酷さを忘れずにいてほしい、という祖母の望みの表れだったのかもしれない。